浄土真宗本願寺派 西楽寺

西楽寺の歴史と概要

西楽寺の歴史

「松山市誌 全」 大正3年愛媛県松山市編集・発行の書籍の263貢に、西楽寺の記述がある。その箇所を記載しますが、古い記述なので読みにくいかもしれない点は何卒ご容赦ください。

《松山市湊町にあり寺傳によれば其開基宗賢法師族姓は毛利氏輝元の二男にして兄と不和の故を以て長門を去て松山に来たり城下を徘徊し杉谷の一隅に杉谷山浄誓寺とて破壊無人の寺あるを見是れ我が住むべき所なりとて遂に居住す後輝元の使来て帰國を勧めしかれども聴かず出家して真宗に帰依し名を宗賢と改むと云う。
寛文二年(1662年)三世 正清の時火を失す正清火勢の熾んなるを見ながら仏具法物一切顧みず災若し城山に及ばば直に屠腹して過を謝せむと剣を按して座す人来て本尊及び祖師の絵像と寺號の幅とを出し他皆焼失したれども幸に火は城に及ばずして止みたり是によりて山下の居住を憚り今の地を乞いて寺を再建すと云ふ。》

西楽寺は、寛永6年(1629年)12月29日 寺号公称を松山藩と京都の西本願寺から許可を得ました。当初は現在の東雲神社の近所に寺がありましたが、文献にもありますように1662年に3代目の正清法師の代に全焼したので今の場所に移転しました。

開基住職は毛利輝元の二男であり僧名は宗賢法師。
続いて②賢正法師③正清法師④円浄法師⑤観孝法師⑥恵教法師⑦達浄法師⑧覚浄法師⑨忍浄法師⑩澤浄法師⑪恵浄法師⑫慈浄法師⑬一浄法師
江戸時代終了⑭毛利勇哲法師⑮辰段西念法師⑯伊藤政法法師⑰毛利輝清法師⑱林浄証⑲林教信(現住職)

第二次世界大戦時に松山空襲で本堂が全焼。以後強制的な寄付を一切集めなかったため、現在は当時の臨時再建された小さな本堂のサイズのままです。

概要

寺院名
青泰山 西楽寺(せいたんざん さいらくじ)
開基
1629年(寛永6年) 
宗派
浄土真宗本願寺派(西本願寺)
本山
龍谷山 本願寺
宗祖
親鸞聖人
所在地
愛媛県松山市湊町2丁目4−1
住職
第19世 林教信

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